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アルジェリア1959/BACKGROUND
ジダンの頭突きが、フランスでなぜあれほどの社会問題を引き起こしたのか?
遠い日本からはよくわからない複雑でデリケートな歴史がそこにはある。地中海を挟んだ北アフリカのアルジェリアは、130余年にわたりフランス直轄の植民地だったのだ。
1830年以来“フランス人”となったアルジェリア人たちは、“フランス兵”として2つの世界大戦に従軍。近隣のアフリカ系“フランス兵”たちと共に分かち合ったその苛酷な戦場の模様は映画「デイズ・オブ・グローリー」(06、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート/カンヌ国際映画祭男優賞受賞)に詳しい。
独立を勝ち取ったアルジェリア戦争(1954~62年)は、フランスが経験した最大の植民地独立戦争で、ベトナム戦争の裏側で当時の世界を震撼させ、日本の新聞でも頻繁にその動向が報じられていた。有名なのは、57年の市街戦の様子を克明に描いたジッロ・ポンテコルヴォ監督作「アルジェの戦い」(65、アカデミー賞外国語映画賞、監督賞ほかノミネート/ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞)。首都アルジェのアルジェリア人たちが立ち上がり、支配層のフランス人に抵抗する姿を克明に描き、日本にも衝撃を与えた。ただしこれは、イタリア映画であった。
「いのちの戦場」の舞台はその2年後の1959年。アルジェリア戦争は泥沼化し、カビリア地方の山岳地帯では、激しいゲリラ戦が繰り広げられていた。アルジェリア人は、独立を目指すゲリラ兵、フランス軍に参加してゲリラを鎮圧しようとする“フランス兵”、そして両方の板挟みで苦しむ住民とに分かれてしまった。戦場には密告と拷問の連鎖がはびこり、先の大戦やインドシナで“フランス兵”として戦った戦友同士が、敵味方に分かれて殺し合った。戦地に送り込まれたフランス人兵士は200万人、死者2万7千人。そして、アルジェリア人の死者は“推定”30万から60万人。
| アルジェリア戦争(1954~62) |
| 1830 |
フランスによるアルジェリア侵略 |
| 1881 |
アルジェリア、フランスの本省直轄下に入る |
| 1914-18 |
173,000人のアルジェリア兵士が戦地へ送られ、
119,000人のアルジェリア労働者がフランスへ送られる |
| 1945 |
コンスタンティーヌ、セティフ、ゲルマで大暴動 |
| 1948 |
「アルジェリア議会」選挙実施、政府寄り議員が多数に |
| ------------------------------------------------------ |
| 1954 |
FLN(アルジェリア民族解放戦線)が蜂起、独立戦争始まる |
| 1957 |
“アルジェの戦い” |
| 1958 |
アルジェリア共和国臨時政府、設立宣言 |
| 1959.8. |
ド・ゴール将軍の第1回アルジェリア視察 |
| 1960 |
国連総会でアルジェリア独立の権利を承認 |
| 1961 |
ヨーロッパ人テロリスト・グループが秘密武装組織OASを組織 |
| 1962 |
エヴィアン停戦協定~国民投票により自決独立賛成多数~
フランスがアルジェリア独立を承認~アルジェリア独立宣言 |
| 1999 |
「アルジェリア戦争呼称法」制定 |
| 年表(参考:「アルジェリア近現代史」白水社刊) |
海を挟んで残虐な成り行きを見守ったフランス人たちも、戦後帰国した兵士たちも、その子供たちが読む教科書も、アルジェリア戦争について語ることはなかった。それはフランス国民に暗い影を落とす“タブー”となった。
そして今、“戦争を知らない世代”のブノワ・マジメルが、初めて歴史に向き合う! 最後の戦場に散った年若いフランス人兵士たちの苦しみ、アルジェリア人兵士たちの哀しみを、現代につながる堂々たる戦争大作として描ききった。
2009年、アルジェリアは大統領選挙の年――アルジェリア戦争に関わりを持たなかった世代が政権を担い、歴史が葬り去られる直前に。